第2章 海外処女作はいかにして生まれたのか 〜十数年じっくり、地元で写真素材を撮る(その1)〜

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ツヨシ

ある有名な家系に生まれるものの、一家離散を契機にアート制作に没頭。 受賞歴ありの障がい者アーティスト。

今回から、実際の制作がどのようであったかをお見せしていくことになります。さて、映像を作ることにしたわけですが、ちょっとみなさんにはタイムマシンに乗っていただいて、行き先は西暦2005年とさせていただきます。まずは写真素材がないと話にならない、というわけでまずは過去にさかのぼって、写真を撮りに行こうというわけです。

 

これがこの映像的に、またツヨシ的にどんな年だったかと言うと、「高校時代の彼女の凄惨な他界から明けて4年ほど経った頃、その悲しみを表現したつもりの5枚組み写真が、Esquire Digital Photograph AWARD ’03~’04事務局の目に留まり、当時としては斬新なフルFLASHフォトログ「fotologue.jp」の招待作家として招かれ、本格的に写真を撮り始めた頃」になります。

 

※ちなみにfotologue.jpはだいぶ以前に、アドビFLASHのサービス終了とともにその寿命をまっとうし、残念ながらサービス終了となっています。。

 

当時は今のように、みんなの嫌いないわゆる「インスタ蝿」もまったくおらず、実質、アップル社によって消された技術であるアドビの「FLASH」や、掲示板「2ちゃんねる」が全盛のインターネットの盛り上がりの始まりのころで、「趣味は写真です」と言うと「ほう、いいご趣味をお持ちで」というような、写真を真剣にやっている人がほとんどいない時代だったのです。時代の空気感は今とは全く違い、過度な情報化によってクレームだらけでギスギスしてはいませんでした。

 

さて前置きはこのくらいにして、[このページ] が僕が撮り溜めた写真の中で、人にお見せできるレベルのショットを選抜した「写真置き場」になります。

このページにあるのは全て、僕本人が撮った写真です。この中の「Freja風景写真集 ’05-’18」から今回使用した13枚を選抜したわけですが、「とにかく良い写真を詰め込んだ」というわけではなかったのです。「単純に良い写真ならこれとか、あれもあるじゃん。なんで使わなかったの??」と思うかもしれませんが、そこには社長が僕に放ったあるひとことが影響しております。

 

要約すると、「物語、ストーリーは大事。流れを大切に。」

 

つまり、ただ単にいいものを詰め込んだら「ただの宝石箱」になってしまい、見た人が「で??何が言いたいの??」となってしまいます。

 

映像作品は必然として「時間軸」を持っていますので、「始まりました。ああなって、こうなって、こうなりました。言いたいことはこれでした、おしまい。」というようなのが理想ですし、見ている人にとっては展開が気になるので、最後まで見てもらえる可能性が高まるというわけです。

 

思ったよりも導入が長くなってきた関係で、実際の写真の紹介は次回以降していくことになります。みなさんにとってはあまり見慣れない豊かな富山の自然風景を、長年の地元民である僕といっしょに回っていただければこれ幸いです。

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